風呂

みなさん こんにちは

特殊水処理機『新ん泉』の櫻井です。

寒波の厳しい今年ですが、こうした寒い時期に嬉しいのは「お風呂」ですね。

日本人にとってなじみが深く、世界一の温泉好きとも言われていますが、風呂は実に世界的にも人の生活に欠かせないようです。

今回は風呂について考えてみましょう。

6000年の歴史!?

風呂の起源として現在確認されるものでは紀元前4000年のころメソポタミアで、払い清めの沐浴(沐は水を頭から浴びること、浴は水に身体を浸けること)のための浴室が作られ、紀元前2000年頃には薪を使用した温水の浴室が神殿に作られていました。

同じころギリシアでは、スポーツ施設に付帯して沐浴のための大規模な公衆浴場としての水風呂が作られていました。

紀元前100年のローマ帝国の時代になると、古代ローマの公衆浴場として知られる豪華な公衆浴場と、湯を沸かす際の熱を利用した床暖房設備が発達し、現在の日本でも見られるような、社交場としての男女混浴の公衆浴場が楽しまれていたようです。

日本では神道の風習で、川や滝で行われた沐浴の一種と思われる禊(みそぎ)の慣習が古くより行われていたと考えられています。

仏教が伝来した時、建立された寺院には湯堂、浴堂とよばれる沐浴のための施設がすでにありました。

仏教においては病を退けて福を招来するものとして入浴が奨励され、『仏説温室洗浴衆僧経』と呼ばれる経典も存在しました。

施浴によって一般民衆への開放も進んだといわれ、特に光明皇后(701~760年)が建設を指示し、1000人の貧困層への入浴治療を目的としていたといわれる法華寺の浴堂は有名です。

当時の入浴は湯につかるわけではなく、薬草などを入れた湯を沸かしその蒸気を浴堂内に取り込んだ蒸し風呂形式でした。

風呂は元来、蒸し風呂を指す言葉で、現在の浴槽に身体を浸からせるような構造物は、湯屋・湯殿などといって区別されていました。

浴槽にお湯を張り、そこに体を浸かるというスタイルがいつ頃発生したかは不明です。

江戸時代に入ってから戸棚風呂と呼ばれる下半身のみを浴槽に浸からせる風呂が登場し、慶長年間の終わり頃に、水(すい)風呂と呼ばれる全身を浴槽に浸からせる風呂が登場しており、ほぼこのころに現在の入浴方式が定着したようです。

風呂もいろいろ

●蒸し風呂(むしぶろ)

蒸気により体を蒸らす風呂です。

日本では元来風呂という場合はこれを指していて、蒸気が豊富な温泉でもよく見られ、大分県別府の鉄輪温泉(かんなわ温泉)にある鉄輪むし湯は一遍上人が施浴のために開いたものとされる。

温泉で熱せられた床の上には石菖という薬草を敷きつめ高温で蒸す状態にして、テルペン(鎮痛効果がある)を成分とする芳香を放出させて、皮膚や呼吸器から体内に吸収するようにして利用します。

箱型の1人用蒸し風呂は、特に箱蒸し風呂と呼ばれる。

蒸気を使わない乾式のものも含めてサウナ風呂とも呼ばれていますが、現在ではサウナ(英:sauna bath)はフィンランド式の乾式のものをいいます。

●岩風呂(いわぶろ)

主に瀬戸内海など海岸地帯にあった蒸し風呂で、天然の石窟などの岩穴の中で火を焚いて熱し、適当な温度になったところで灰の上に海藻や海水で濡らした莚(むしろ)を引き、その上に人が横たわる形で入浴をします。

●釜風呂(かまぶろ)

日本列島の内陸部で広まった蒸し風呂で、京都の八瀬の竈風呂が代表的。

岩で直径2m程度のドーム型に組んだ下側に小さな入口があり、ドーム内で火を焚き熱し、加熱後に換気を行い、塩水で濡らした莚を引いて、その上に横たわって入浴をします。

●五右衛門風呂(ごえもんぶろ)

鋳鉄製の風呂桶に直火で暖めた湯に入浴します。風呂桶の底部は高温になっており、『東海道中膝栗毛』で喜多八が下駄を履いたまま入浴し、底を踏み抜く話で有名です。

全部鉄でできているものは「長州風呂」と呼び、五右衛門風呂はふちが木桶で底のみ鉄のものを言います。

厚い鋳鉄製のため、比較的高い保温力があります。

●ジャクジー風呂

浴槽内に勢いのある泡を出す「噴流式泡風呂」の代名詞で「ジェットバス」などとも呼ばれています。

イタリア系アメリカ人のJacuzziの3代目が1968年に開発し、最近では浴槽内を照らす照明を備えるものもあります。

●ドラム缶風呂

空いたドラム缶を廃品利用して風呂として使用したものであり、第二次世界大戦中、航空燃料の空き缶など素材が調達しやすいことから戦地などでよく作られました、

戦後も簡易な風呂として、内風呂のない家庭も多かった昭和40年代頃まで利用されていました。

現在でも、キャンプ、ボーイスカウトなどの行事で利用され、野外で設置するためにドラム缶の加工製品(底部に水抜き用水栓が付いている)が市販されています。(ステンレス製で50,000円前後)

初風呂

『大阪ことば事典』(講談社学術文庫)によると、湯屋は、元日は休みで、二日は暗いうちから表をあけるのが恒例となっていたそうです。

それに入るのを初風呂といったようです。

江戸にはそうした風習は無かったようです。

この風習は、明治三十五、六年頃まで残っていて、この日は、風呂屋では番台の周囲を餅花や紅提灯で飾り立て、暮れに客からもらった祝儀袋を大きな姿身の上にこれ見よがしに張り並べてあり、 子どもが行くと、歳暮のお礼の意味で提灯を一つずつお年玉にくれたといいます。

現在ではそうしたことに限らず、新年早々に入るのを初風呂と呼んでいます。

山形県大江町の「テルメ柏陵健康温泉館」では今年も恒例の元日風呂が行われ、31日午後9時に営業を終了した後、従業員が風呂を掃除してお湯を入れ替え、午前0時にオープンしました。

待ち切れない様子で入り口前に並ぶ人もいて、町民らが続々と訪れ、受付ではミカンをプレゼント。

来館者は湯に漬かって体を温め、初風呂を楽しんだそうです(山形新聞より引用)。

 

 

 

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