水道の始まり
みなさんこんにちは
特殊水処理機『新ん泉』の櫻井です。
水道という技術がありますが、実は日本の水道の歴史は意外と浅く(1500年代)、それまでは毎日水を確保することが生活の一部になっていたのです。
今回はなぜ水道という考えが広まったのか「水道のはじまり」から考えてみましょう。
水道のはじまり
人が生活するためには湧水や川、湖の近くなど、水のあるところを拠点に選ぶ必要があります。
その集落が大きくなり、都市が形成されてくると飲み水だけでなく、生活や産業のために大量の水が必要となりました。
大量の水を確保するため、都市から少し離れた湖や川から水路を作り、都市まで水を引くようになったのが、水道の始まりです。
世界で最初の水道とみられる痕跡は、紀元前2500年ごろに繁栄していたと言われるインダス文明の都市モヘンジョダロにあります。
モヘンジョダロの遺跡群は現在のパキスタンの位置に存在し、ここではインダス川の水を集落まで引いていたと見られています。
インダス文明は、まだ不明な点が多いのですが、非常に高度な建築技術や上下水道技術を持っていたのではないかと言われています。
その全貌については今後の新たな発見に期待しましょう。
ちなみに現存する中で世界最古の水道と言われるのは紀元前300年頃~3世紀頃にかけて作られた古代ローマの水道です。
古代ローマでは公衆浴場が出現した時点で、地下水と泉が枯渇してしまいました。
そこから考案されたのが古代ローマ水道だと言われています。
古代ローマの水道は基本的に重力のみで水を流していました。
水源からの距離は約50キロメートルにもおよび、水が流れるための傾斜角は1キロメートルでわずか34センチメートル下ると言う驚異的な建築技術で作られていました。
更に驚嘆すべきは、2000年以上も昔に作られた古代ローマ水道の一部が現代においても利用されているということです。
さて、日本における最古の公共水道と言われているのは小田原用水(小田原早川上水)です。
創設の時期については明らかではありませんが、天文14年(1545)2月、紀行文「東国紀行」の中で北条氏康(1515~1571)の館で庭水が箱根芦ノ湖を水源とする早川であることを知り驚いたという記述があります。
氏康(うじやす)の代に敷設されたものと推察されています。
ちなみに神田上水や玉川上水は小田原用水を模倣してつくられたものと考えられています。
もしも水道がなかったら
私たちは「水」というと飲み水ばかりを重視してしまいがちですが、暮らしの中で使う水道水は飲料水だけではなく炊事、風呂、洗濯、トイレなど用途は多岐にわたります。
現在、日本人は一人あたりで2リットルのペットボトル約150本分(300リットル)の水を1日で消費していると言われています。
これは世界平均に比べると2倍程度の消費量です。
日本人の水の消費量は世界でも多い方で、その消費量はカナダ、アメリカ、イタリアに次いで第4位とされています。
日本の年間降水量は1690mmと世界平均(810mm)の約2倍です。
ところが狭い国土に人口が密集しており、実は1人当たりの降水量に換算すると世界平均の3分の1ほどしかありません。
また河川は短く急流河川が多いため、降った雨が短時間で海へ流れ出てしまいます。
水に恵まれていると思われている日本でも、水はやはり貴重な資源なのです。
それでも日本でこれだけ水が自由に使える理由は、ダムなどの水をためておける高い技術と施設があるからです。
家に水道がなかったら
水確保のために毎日水を汲みに行かなければならなくなります。
4人家族なら単純計算で600本のペットボトルを毎日運搬することになります。
20ℓのバケツで60回分。
水を確保するだけで1日の仕事が終わってしまいます。
近くの川の水や井戸水、雨水などを利用することになるでしょう。
これらは当然全て自然のものですので、水を媒介とする伝染病などへの衛生面(安全性)の対策が必要となります。
水道水は塩素殺菌をしています。
塩素は長時間効果を発揮できる利点があります。
もし、塩素殺菌されていない水を使用し続けると、伝染病が蔓延し、食中毒がいたるところで発生することは明らかです。
それこそ、安心して暮らすことが出来なくなります。
コレラや赤痢・腸チフス等の消化器系の病が頻繁に発生する事態となります。
現代の生活とはあまりにかけ離れているため想像しにくいかもしれません。
日本のようにどこの家庭においても安全な水をたっぷりと使えるという状況はとても恵まれた環境なのです。
感謝して生活しましょう。