湧水(わきみず)
みなさん こんにちは
特殊水処理機『新ん泉』の櫻井です。
湧水は清らかなものとされ、またこんこん湧きでる水の姿は無限の力を感じさせるものです。
今回は我々の生活に身近な湧水について考えてみましょう。
どうして水が湧くの?
湧水(ゆうすい)とは地下水が地表に自然に出てきたもののことで、湧き水(わきみず)や泉(いずみ)とも言い、大規模な湧水はそのまま川の源流となることもあります。
たとえば柿田川湧水群(静岡県清水町)の湧水量は1日70万t~100万tで東洋一の湧水量を誇っています。
これが柿田川(全長わずか1.2kmですが一級河川)の源泉になっています。
湧水の条件は、少し難しくなりますが、沢の谷頭(たにがしら)部や、山地と平地(へいち)の境目、台地の崖沿いや扇状地の末端(扇端部)です。
地下水の水頭(地下水の位置エネルギーであるポテンシャルと大気圧の平衡する高さ)がその地表よりも高く、かつその地下水が地表に出てくる地質条件(土の堅さが水圧で崩れたり、割れ目等の水道ができるなど)が満たされている場所においては、地下水が湧出し、水が湧き出るようになります。
ちなみに前述の柿田川湧水は富士山に降った雨や雪が吸収され、伏流し、富士山の大昔の爆発で形成された地下の溶岩層に吸収されて清水町の原泉地に表出したものです。
湧水は地表水に比べると安定した供給が見込まれることから、古くから飲料、洗濯、農業などに広く利用され、地域住民の生活に深く結びついた存在であります。
沖縄県のように河川の水資源に乏しい島々では、地域住民が湧水を特に大切に利用、管理してきました。
また、開発途上国にあっても、上水道が未整備な地域や安全な水へのアクセスが制限されている地域が広範に残っているために、井戸とならんで住民にとって大切な生活用水となっており、伝統的に地域コミュニティの共有資源として利用管理されてきました。
名水100選
水といえば、よく清涼な水の代表とされる名水100選ですが、水道水の普及に伴い、湧水の利用、管理が地域住民の手から離れてしまい、住民の参加しなくなった湧水、水源の荒廃が進んだ状態になったことを危惧して 当時の環境庁によって1985年に名水百選として選定されました。
これは各都道県に依頼して、
1)きれいな水で、古くから生活形態、水利用等において水質保全のための社会的配慮が払われている。
2)湧水等で、ある程度の水量を有する良質なものである。
3)いわゆる「名水」として故事来歴を有する。
4)特に自然性が豊かであり、希少性、特異性等優良な水環境として後世に残したいもの。
という基準で全国784件の中から選ばれたもので、東北地方では青森県弘前市の富田の清水、岩手県八幡平の金沢清水、宮城県仙台市の広瀬川、秋田県美郷の六郷湧水群、山形県西川の月山山麓湧水群、福島県北塩原小野川湧水、新潟県長岡市杜々の森湧水などが選ばれています。
その後こうした名水は地域での保存や利用活動も増えたため環境省は2008年に、「地域の生活に溶け込んでいる清澄な水や水環境のなかで、特に、地域住民等による主体的かつ持続的な水環境の保全活動が行われている」という視点から「名水百選」(昭和の名水百選)に加え、「平成の名水百選」としてあらたな名水を選定しました。
その中には、新潟県村上市の吉祥清水、和歌山県新宮市の熊野川(川の古道)や高知県四万十川などが含まれていますが、大半は湧水です。
宗祇水(そうぎすい)
岐阜県郡上八幡市の宗祇水は昭和の名水百選で第一番に選定された名水です。
室町時代後期に活躍した連歌の飯尾宗祇はこの郡上八幡の領主であった東氏を訪ねてきて作歌の奥義を古今伝授いたしたそうです。
その宗祇がこの湧水の傍らで庵を結び、愛用したことから宗祇水と呼ばれるようになりました。
この地には水舟という独特の水利用形態があり、これは市内に10か所現存し、住民が組合組織を作って保全しています。
水舟は湧水や山水を引き込んだ二槽または三槽からなる水槽のうち、最初の水槽が飲用や食べ物を洗うのに使われ、次の水槽は汚れた食器などの洗浄、そこで出たご飯つぶなどの食べ物はそのまま下の池に流れて行き、飼われている鯉や魚のエサとなります。
湧水は利用後、自然に浄化されて川に流れこむしくみになっているものです。
宗祇水ではその湧水を利用した水舟が屋代の前に続き、人々が炊事、洗濯などの生活に利用され、まさに住民の生活資源として共用されてきました。
郡上八幡は長良川の上流に位置し、奥美濃の山々から流れ出た吉田川、小駄良川など三つの川が合流するところにあ り、豊富な湧水を生かす工夫があちこちになされています。
鯉や川魚が泳ぐ豊かな用水が民家の裏手を流れ、夏になればスイカが冷やされ、オトリに使う鮎が篭に入れてあったりする光景も当たり前でした。
洗濯場が何か所もあり近所のおばさんたちの社交の場でもあったりするのですが、最近はカメラなどを向けられるのを嫌がって、その数は昔と比べると減ったみたいです。
川に魚がいる、川の水でものを洗うことは日本ではごく当たりまえのことでしたが、そうした風景が名所にな るということは日本人の生活において水の利用が便利さの追求だけでその他の水を使う生活の大事な部分を見落としてきたせいかもしれません。
こうした反省からここ10年前ぐらいから「親水」の意義を再発見するような運動が始められています。人間の生活に切り離せない「水」のことを再度考えてみることが大切と思います。
(注)親水(しんすい)は、水と親しむこと。触れることで水や川に対する親しみを深めることを指す造語で、1960年代の後半、都市河川が水害や公害に悩まされた時期に東京都の河川計画の技術者の自主的な研究活動が支えとなり、東京都土木技術研究所(現·土木技術支援・人材育成センター)の山本彌四郎らが使った用語である。
(wkipediaより)